Bici Sport Japan 店長 細野 謙一 プロフィール
子供時代 物心ついた頃から、車輪の乗り物が好き
1967年、世田谷区にて猫好き&風変わりな母の元に生まれる。2歳上の姉と近所に暮らす双子のいとこのお姉ちゃんがいます。子供の頃からとても仲が良いです。
物心ついた頃から、車輪の乗り物以外は全く興味がなく、そういう訳で仮面ライダーはバイクに乗るからヒーローだけど、空を飛んじゃうウルトラマンは興味がなかった。(でもこの間見たら女の子がとても可愛かった。)
オートバイの競技に熱中 ~ マウンテンバイクへ
20歳オートバイの競技に熱中するが、財力に限界を感じ手放す。売却したらそこそこの金額になったので、おかしな金額のマウンテンバイク(車が買えます)を購入。だから自転車は大人デビュー。自分はいわゆるチャリンコ少年ではなかったのです。
人生のターニングポイントが訪れる。。
そのおかしな金額のマウンテンバイクの機動性に驚く。
乗り物にはエンジンを積む必要がないと感じ、この頃から自転車に乗っていない人が気の毒に感じるようになる。
なんで乗らないのよ。。。って。
競技系模型メーカーに入社
同時期に競技系模型メーカーに入社。
物流部門とカスタマーサポートを担当。
毎日毎日倉庫で荷物を運んで毎日毎日電話対応。。。
能力ゼロでまったく昇給せず。
でもとてもいい経験になりました。
マウンテンバイクのインストラクター
26歳、縁あって週末のみマウンテンバイクのインストラクター活動を始める。完全にこっちの活動が軸になる。
ツーリングイベントの他、修学旅行のプログラム内サイクリング引率等の活動をしているうちに自転車の人と人の距離を近づける引力に気がつく。
イタリアへ
29歳 思いつきで航空券とユーロレールパスのみ購入してイタリアへ。なんだか前から行ってみたかったのだ。まぁ現地に友人がいたし。
ドロミーティ、バルサバランシュ他の山岳エリアをマウンテンバイクで豪遊。マウンテンバイクなら豪遊しても食費以外はあまりかからない。
北イタリアの自然にも圧倒されたが、この国の街中での普通な普通な自転車スタイルの違いに目を覚まさせられる。
なんかもう、すべてが日本とまったく違うから。
機材へのこだわりが強くなる
マウンテンバイクでの活動が広がるにつれて、機材へのこだわりも強くなる。きちっと作動するべきところは作動してくれないと納得できない。自転車という乗り物はコンポーネントと言われる機械の組み合わせで、それぞれの性能は高くても組んだメカニックのパフォーマンスで大きく性能が変わってしまう。
そして残念なことではあるのだけれど、
世の自転車のほとんどは本来の性能が発揮されていない。
これは本当に勿体無いことだと思う。
そして自動車や家電とは違い、趣味嗜好性が高いものなのに信頼性 / コストダウンのバランスも実に悪い。
これは我々業界人の責任だと思う。
職業柄か自然な流れで機材のパフォーマンスに疑問が出るたびに整備を繰り返すようになる。どの会社のパーツも車体もそうだがちょっとした整備で卓越した性能を発揮することに驚く。あの世界の技術者を心から尊敬している。
Bici Sport Japan 開業
インストラクター活動のサポートを受けていたショップが都内に移転。残した店舗をやってみないか?との提案を頂く。
さっそくママに相談。楽しそうだね!!やってみたら!!!! との予想外の返事に背中を押され決意。実は結構迷っていたのだ。
2006年4月1日、アップルコンピューター設立日と同じ日に開業。
最初の数年は自転車を販売させられておしまい。
でも日本代理店さんは儲かったはず。
アップグレード、チューニング、メンテナンスに業務内容をスライド。
うちは自転車屋なのに自転車は一台も売っていない。
利益はそんなに変わらないけどとにかく仕事が楽しい!!!
開業以来最大のピンチ
2015年、見知らぬ弁護士から内容証明が突然届く。
店舗物件老朽化による立ち退き宣告。
開業以来最大のピンチ!でも仮面ライダービーストがいつも言っていた。ピンチはチャンス。と。
2016年。先先代が残してくれた納屋をリノベーション、移転完了。
メンテナンスで古い建物は生まれ変わる。古き良きもので活動再開。
私の使命は自転車店の販売ではなく、自転車の質を上げることです。
オーナーさんのライフスタイルも変わっちゃいますから。
あ、もちろんご相談いただければ最高の自転車をご用意いたしますよ。